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浅利圭太の四季 著述集1
(慶応義塾大学出版会 1999年)

『浅利慶太の四季』

 1994年7月に、劇団四季の舞台ミュージカル【キャッツ】を初体験しました。【Sound of Music】等、映画のみだった小生には衝撃的でした。四季の会員になり、30年余が経過。
 必然的に、主宰者の浅利慶太師(1933/3/16~2018/7/13)に関心を抱き、会報誌に留まらず、書物も入手しました。
 オペラ・ミュージカル愛好家必読と自己評価している本著述集に接し、師の功績に、いたく感動した次第です。
 若き師や石原慎太郎が動き、1963年に開場した日生劇場の杮落し公演が総勢300名のベルリン・ドイツ・オペラで、カール・ベーム指揮の【フィデリオ】と知り、驚嘆しました。(参照:ベーム指揮 1970年 日本語字幕付全曲
 私事、2012年以降、ウィーン国立歌劇場での研修を重ねていますが、【フィデリオ】は、映像研修に留まっています。ウィーンでは、今でも楽譜にない[レオノーレ3番]がフロレスタンの救済直前に演奏(参照:バーンスタイン指揮 ウィーン国立歌劇場 全曲)されることを期しています。
 師はブロードウェイ・ミュージカルの完全上演を【ウィストサイド物語WSS】で実現しました。
 オペラもですが、当時の日本は(360円の米ドルなど)外貨持ち出しに、国の許可が必要で、文化事業ではNHKと朝日新聞社での実績があった由。

 師は、朝日の記者等を介して、当時の大蔵大臣との面会を達成。既に、交友があった小澤征爾の案内で米・国務省を訪ねた際、係員は「アメリカの暗黒街を描いたものには政府として5セントも出せない」と。大臣「国務省が嫌う“不良”をやって日米関係が・・・」と。

 師は「非行少年の問題は、少年を育てる社会の側に病巣があり、・・・現代アメリカのヒューマニズムや知性を示した作品・・・。日本の観客にみせることこそ、日本にアメリカを理解させる最良の方法」と返答。大臣は「本格ミュージカルは日本で初めてだし、質の高い作品を招聘するのは、とても意義のあること・・・」と担当に指示。外貨の難関を乗り越えることができた際の当時の大蔵大臣は田中角栄。
 WSSの問題性は半世紀を経た今日でも重要な課題であり、作品の鮮度は落ちません。ただし、上演するとなれば、疲労骨折など、「いいショーはけが人が出る。当然」と来日した振付師談も。
 師は、小澤征爾から“良いピアニストの”ヒントを得て、日本語の母音を明快に発するために〔母音法〕等を発明するなどの貢献も 小生も学び、実践を続けています。
 本会報に「人生ミュージカル」5連作を2010年に執筆しました。ご参照願います。(5作の原稿

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​ 本稿は、鳥取県医師会報からの依頼原稿(草案 4月号掲載予定)です。'25/2/13

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​追記) 文字数制限があり、上記に留まりました。

 ウィーン国立歌劇場は、第二次世界大戦の際、爆弾で破壊されましたが、戦後の復旧杮落し公演(1955年11月15日)がカール・ベーム指揮【フィデリオ】だった。フィデリオは、[不屈の精神と耐えた後の勝利]が筋の根幹であり、馴染めば、ベートーヴェンならではの秀逸な楽曲・アリアを堪能することになる。

 文化遺産と位置付けている既述のバーンスタイン指揮 ウィーン国立歌劇場 全曲を初研修した際、予備知識がなかったため、不屈が勝利する場面で、レオノーレ3番が演奏され、私的には大感動!と書いている今も心が躍る!

 レオノーレ3番の演奏はウィーン国立歌劇場ならではの文化習慣であり、上演日程を確認し、ウィーンに出かけたい気にもなっています。夢はかなう! '25/2/13

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​追2)ウィーン国立歌劇場の 2025/9~2026/6 シーズンは、演目を探し、(これまでの5月中下旬に限定せずで、)【フィデリオ】や【ラインの黄金】・【ワルキューレ】を念頭に、渡欧を決めようと考えています。夢はかなう♪ 

付:2025年のウィーン:国立歌劇場に招かれた3月末 & 計画通りの5月 マサカの秋は・・・?!

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